お知らせ

0歳児。その成長は毎日が感動であり、驚嘆です。
大人には信じられない速度で自分自身の世界を掴んでいきます。
0歳児の子たち、いえ0歳児以外もですが、ただ子どもたちは守られる存在でしょうか!?答えはおそらくNOです。
0歳児であれ、子どもたちは一生懸命、活き活きと、その日々を過ごし遊ぼうとしています。
触り、いじり、感じ、全身全霊をかけて育とうとしています。そして、成長しようとしています。自分の色がどんどんできあがってきます。
僕たち保育者は、その日々を丹念に追いかけ、丁寧に日々を繰り返していきます。
ここに一つの言葉を紹介します。


倉橋惣三『育ての心』

 自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。世にこんな楽しい心があろうか。それは明るい世界である。温かい世界である。育つものと育てるものとが、互いの結びつきにおいて相楽しんでいる心である。
 育ての心。そこには何の強要もない。無理もない。育つもののおおきな力を信頼し、敬重して、その発達の途に、したがうて発達を遂げしめようとする。役目でもなく、義務でもなく、誰の心にも動く真情である。
 しかも、この真情が最も深く動くのは親である。次いで幼き子等の教育者である。そこには抱く我が子の成育がある。日々に相触るる子等の生活がある。こうも自ら育とうとするものを前にして、育てずしてはいられなくなる心、それが親と教育者の最も貴い育ての心である。
 それにしても、育ての心は相手を育てるばかりではない。それによって自分も育てられてゆくのである。我が子を育てて自ら育つ親、子等の心を育てて自らの心も育つ教育者。育ての心は子どものためばかりではない。親と教育者とを育てる心である。

このような言葉です。
その育とうとしている、子への信頼こそ、今必要なもののように思うのです。
子育てに必要なものは共感と言われています。それは、子どもが見ようとしているもの、進もうとしている方向を、共にまえを観て進もうとする心なのだと思います。
見守るだけでなく見届ける心も、時には必要だなと0歳児の世界を見てそう思います。

社会福祉法人 任天会
おおとりの森こども園
園長 松本崇史

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