保育・教育・研修
2020/05/28
年長の会は、日野の森こども園特有の行事です。行事の流れとしては、
というものです。それだけのことなのですが、とても深い意味を持っている行事です。
深い意味のひとつ目は、年長になったからこそ、「夜」という特別な時間に「みんな」で歩き、こども園の中で最も大きい年齢だからこそを伝えることができ、成長の特別感を味わえます。
ふたつ目は、子どもたちに生まれてきてくれたことの感謝を大人から伝えながら、家族に祝福され産まれてきた喜びと感謝を子どもたちも感じることです。
みっつ目は、普段は園という社会や公での生き方を身につける育ちの場であるこども園ですが、子どもたちの本当の安心基地である「家庭」にかえすという、普段とは逆の意味を込めて、子どもたちが自立できるための本当の土台を再認識します。
また、なぜ日野神社で行うかというと、神社の「参道」と母体から生まれる「産道」という言葉のルーツは一緒だと言われています。「お宮」と「子宮」という言葉にも同じ言葉が使われている通り、参道を通り生まれてくることを模していると言われています。
そのような意味を込めて、保護者の方にも夜に来ていただき、子どもたちは参道を通りながらお母さんとお父さんのもとに帰っていきます。今では色々な産まれかたがありますが、お腹の中にいたという事実は同じです。
でも、そんなことよりも、保育者として担任たちも嬉しいのは、手紙を真剣に聞く子どもの姿です。保育者に寄り添いながら聞く子、普段はやんちゃだがじっと手紙の文字を見る子、恥ずかしさから聞いていないふりをするが手紙を渡されるときに満面の笑みを浮かべる子、嬉しくてうれしくて思わず涙を流す子、など様々です。
保護者の方のところにかけていくときも、嬉しそうに飛びつく子もいれば、恥ずかしがりわざと避ける子、飛びついて涙を流す子もいます。
年長ともなれば、手紙の意味が分かります。それに対して見せる反応は、その子なりの個性です。素直な子どもの反応それぞれに想いが込められています。
傍らでみている私たち保育者は、なぜか涙が止まりません。子どもたちの自立と社会での成長を思いながら保育をします。子どもたちはネガティブな出来事も集団生活の中で体験していきます。それを乗り越え強くなっていきます。その反面、まだ生まれて6年ぐらいの幼い子どもたちを教育する中で、お母さんやお父さんと一緒にいたいだろうなという想いがおそらく心のどこかにあるのかもしれません。本当にうれしそうに駆けていく姿や手紙に耳を傾ける姿を見ると、自然と涙がこぼれます。
こういう行事から見えてくるのは、やっぱり保育や子育ては乳児のころからの愛情が土台なのだろうなと思うのです。自立していくように手放しながら、愛情をかけていくこと。子どもたちは私たち大人を無条件で愛してくれます。だからこそ、私たち大人が愛情を持って関わることが大事だなと改めて思うのです。年長になった最後の年の行事で、一年に一回そういうことを振り返ることができます。